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言葉の要らない時間

私たち人間は共存するために言葉という道具を備えていますが、これがまったく一人だけで暮らしているとなると言葉は不要になります。 本当にまったく不要なのかといえば、一人で暮らしても思考という行為をするためには、すでに習得している言葉は便利なもので、言葉があると思考がとてもしやすくなりますから、考えるという脳内の行為のためにはあった方がいいということになるかもしれません。 言葉によって思考し、思考をまた口で話したり文字に書いたりして言葉にする。そのようないわゆる精神活動というものをして生きているのが私たちなのですが、時には言葉などない方が良い結果になるということもあります。 たとえば夫婦の関係がぎくしゃくしているという時を考えてみましょう。一触即発の状況ですから、一言発するだけで神経に障るということがあります。それなら何も言わない方がいいというわけです。 またさらに、何も言わなくても表情や態度が気に障るということもあるでしょう。そんな時、原因は何かと突き詰めて考えますと、そこにはどうやら思考があるんです。思考は言葉によって行われるものですから、口にも出していない、文字で書いてもいないという場合であっても、脳内ではしっかり言葉が行われているというわけです。 どうやら思考=言葉には、正しい使い方と正しくない使い方というのがあるようで、いらいらしたり、相手を悪く思ったりという時には、思考や言葉を正しく使っていないということができるのではないでしょうか。 一触即発の関係を修復するためには、思考を完全にやめるというのも方法ですが、それもなかなか難しいですから、せめて思考や言葉を正しく使うということで心がけるしかありません。どういうのが正しいかといえば、そこはやはり相手を尊重するということでしょう。相手の存在を積極的に肯定するというのが「愛する」という言葉の定義であると、高校時代に教わった記憶がありますが、「愛する」なんていうと漠然としすぎでも、「相手の存在をただ感じて、いてくれて良かったと思う」というように思考すれば、そこからはもう喧嘩にはならないんじゃないでしょうかね。 さあ気分転換にどこかに旅行に行こうかというのも良いでしょうけれども、自分の脳内で「相手を悪く思う」という思考を続ける限りは、どこへ行ったって楽しくありません。 世界中の人々から坐禅