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客観的な意味ではなく、主観的な意味なら、シンプルな説明ができます。

日本語の問題というと、一般的に、語彙のことだと勘違いされることが多いような気がします。そうでなければ方言のことであるとか、あるいは敬語の使い方、といったところでしょうか。当サイト『縄文ネット』では、日本語の文法を研究対象にしています。 どういう日本語が正しいとか、正しくないとか、そういう話ではなくて、私たちが日常当たり前に使っている日本語のうち、意味が説明できない部分について、どんな「意味」を伝え合っているのか、どんな「意味」を共通の理解としているのかを問題にします。 たとえば、助詞の問題です。「が」「は」「も」などの助詞がありますが、要するにそれはどういう意味なのか? これは説明できそうでできないものです。説明しようとして分厚い本一冊の論文になってしまい、それでもまだ、「要するにどういう意味?」には答えられなかったりするのです。 どうしてそんなに意味の説明が難しいかといえば、それはつまり「客観的な意味がないからだ。」という答になるのですが、それでもまだ学者先生方は、「意味とは客観的な意味に限る」という前提におられるようで、それが問題解決に一歩も近づけない原因になっているのです。 当サイトで解明しようとする意味は、客観的ではなく、主観的な意味です。 客観的な意味が説明できなくても、主観的な意味なら説明が容易なのです。その主観的意味をしっかり共有することができているのが、私たちの集団です。集団とは、同じ言語を使っている集団のことです。