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日本語文法と言語学の縄文ネット ブログ

2013年3月17日日曜日

言葉の要らない時間

私たち人間は共存するために言葉という道具を備えていますが、これがまったく一人だけで暮らしているとなると言葉は不要になります。

本当にまったく不要なのかといえば、一人で暮らしても思考という行為をするためには、すでに習得している言葉は便利なもので、言葉があると思考がとてもしやすくなりますから、考えるという脳内の行為のためにはあった方がいいということになるかもしれません。

言葉によって思考し、思考をまた口で話したり文字に書いたりして言葉にする。そのようないわゆる精神活動というものをして生きているのが私たちなのですが、時には言葉などない方が良い結果になるということもあります。

たとえば夫婦の関係がぎくしゃくしているという時を考えてみましょう。一触即発の状況ですから、一言発するだけで神経に障るということがあります。それなら何も言わない方がいいというわけです。

またさらに、何も言わなくても表情や態度が気に障るということもあるでしょう。そんな時、原因は何かと突き詰めて考えますと、そこにはどうやら思考があるんです。思考は言葉によって行われるものですから、口にも出していない、文字で書いてもいないという場合であっても、脳内ではしっかり言葉が行われているというわけです。

どうやら思考=言葉には、正しい使い方と正しくない使い方というのがあるようで、いらいらしたり、相手を悪く思ったりという時には、思考や言葉を正しく使っていないということができるのではないでしょうか。

一触即発の関係を修復するためには、思考を完全にやめるというのも方法ですが、それもなかなか難しいですから、せめて思考や言葉を正しく使うということで心がけるしかありません。どういうのが正しいかといえば、そこはやはり相手を尊重するということでしょう。相手の存在を積極的に肯定するというのが「愛する」という言葉の定義であると、高校時代に教わった記憶がありますが、「愛する」なんていうと漠然としすぎでも、「相手の存在をただ感じて、いてくれて良かったと思う」というように思考すれば、そこからはもう喧嘩にはならないんじゃないでしょうかね。

さあ気分転換にどこかに旅行に行こうかというのも良いでしょうけれども、自分の脳内で「相手を悪く思う」という思考を続ける限りは、どこへ行ったって楽しくありません。

世界中の人々から坐禅が好まれているのも、言葉も思考もいったんやめてしまうという機会が日常はなかなか得られないせいです。坐禅を組んで自分の呼吸だけに集中すれば、言葉や思考から自由になることができるんですね。

少なくとも、相手を悪く考えるような思考はやめてしまうに越したことはありません。そうした悪い思考によって、本来は清いはずの自分が自由を失ってしまうと、いろいろと悪い結果を招き続けることになってしまいます。 喧嘩が続いて、しまいには・・・なんてことにもなりかねません。

このように、私たちは思考を自分自身だと錯覚しがちですが、思考というのは私たちが使用する道具にすぎませんから、上手に使えば良い結果に至り、下手に使ったり悪い使い方をしたりすれば悪い結果を招きます。下手に使っていて、急に上手に使うように切り替えるというのが難しい、つまり相手を悪く思っていて急に良く思うのが難しい、という時には、是非とも思考をいったんやめるという選択をしたいものです。

うまく思考から自由になれたら、さあ仲良く旅行に行きましょう。こういう時は東京などの大都市にいるより、温泉地がすぐ近くにある田舎の方が安上がりですみます。

こちら静岡市には、梅ヶ島温泉という極上の泉質の歴史ある温泉地があります。キャンペーンなどの担当を依頼していただいているので、今年は、静岡、温泉、濃い温泉。というキャッチコピーで行こうと思っています。

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